gup_7のリアルの自伝(サッカー編)
~小学生編~
gup_7がサッカーを始めたのは小学2年生の頃、
兄の影響で始めた、
僕が通ったサッカークラブでは年ごとにチームが作られ
低学年はポジション自由
高学年になるときに背番号とポジションが固定される。
僕は低学年のころからキーパーを選択していた、
普通は押し付け合いになるキーパー、なぜ?
と思う人もいるだろう。僕は小学生ながらに
チーム11人の中で一人だけコート内で手を使えることに魅力を感じていた、
最初はそれだけだった。
チームは小学6年生になると全国大会にエントリーできる。
僕は5年の時先輩の代のサブキーパーとして呼ばれた、
それがきっかけで先輩の代の普段の試合にも呼んでもらえるようになった。
小学生はただただサッカーを楽しんだ。
~中学生編~
中学生はクラブチームが良かった、
けどお金はかかるし僕は断念、中学のサッカー部に入った、
正直萎えた、レベルの差があり過ぎた...
どのくらいの差かというと
当時の顧問は「練習に来ないやつは試合に絶対出さない」
が口癖だったが僕は普段の練習はサボり試合の前の日だけ練習に行った、
それでも試合に必ず出てた。
そのくらいの差だ、
サブのキーパーにはさぞ恨まれたが実力に差があったので何も文句を言われたことはなかった。
(今考えると最低だな。)
こんな感じで中学の頃は何もなかった。
~高校編~
ここからが僕のサッカー人生本番だ、
兄の通っていた高校にテキトーに入学して僕は奇跡的な出会いをした、
公立高校ではまずありえないキーパーコーチという存在に出会ったのだ、
しかもこれがすごい人だった。
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~コーチの経歴~
中学でハンドボール部に入部、全国優勝。
高校でもハンドボール部に入部、全国大会出場。
関西大学に入学、友人に誘われサッカー部に入りキーパーに。
大学生関西代表キーパーに。
教員免許を取得、
私立女子高で数学教師として働き始め女子サッカー部の監督になる、
当時無名だった女子高を全国優勝させ全国大会常連校にする。
僕のいた高校にやってきてサッカー部には触れず数学教師として生活。
(当時の監督が若くてこれからの世代のため身を引いた形)
そこそこできるキーパーが来ると噂を聞き当時中学の僕を視察、
僕の入学と同時に本格的にコーチとしてサッカー部コーチに。
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僕はこのコーチの指導の下基本的技術を練習し続けた、
(身体を動かすスポーツである以上応用の形は人それぞれ違うためコーチは口出ししなかった。)
僕のやがて僕の武器は基本技術がほぼ完ぺきのため隙がなく足を活かした
攻撃型キーパーに落ち着いた、
僕の実力が整ったところであまりサッカーでは見ないと思うが僕の高校は
僕(キーパー)中心の戦術が出来上がった。
基本サッカーは背の高さを活かした戦術、などがよく聞く例だが
キーパー中心の戦術とは?
説明するとディフェンスラインを可能な限りぎりぎりまで引き上げ
相手に隙があるように見せロングボールを誘発、
数手先を見る力はないが一手先を見る力が長けた僕の勘と足の速さで敵のロングパスをカット、
前線に逆にロングパスを仕掛けることで得点を重ねる戦法、
wotでいう逆ラッシュに近いかも?
この戦術の弱点は細かいパス回しだがそこはフィールドの選手が育つのを待つ他なかった。
ちなみに僕は一手先を読むのが得意だがどれくらいかというと
実績としてデータはないが小学校~高校まで僕がサッカーに打ち込んだ11年間の公式戦PK勝率は100%、
つまり公式のPK戦で負けたことはない。
相手の足や立ち方、走り方、視線、体の向きや動かし方で
どこに蹴るかは大体予想できる。(ホントヨ?)
そうしてすごいキーパーコーチの指導の下高校生活のほとんどをサッカーにつぎ込んだ
結果僕は大阪堺市の全高校(私立公立すべて)
のキーパーの内(キーパーだけで約120人中)トップ5に入る優秀GK賞を受賞、
(僕の通う高校でサッカー部が個人の賞を受賞したのは40年で初めてだったそう)
そして夏の大会を最後に僕は晴れて引退....するはずだった、
監督に呼び止められたのだ、僕はよく後輩に教えていた、
ディフェンスの声出しアドバイスやオフェンス陣には
試合前の相手キーパーの練習を見て浮き球が苦手、グラウンダーが苦手、
無回転は絶対弾くetc...
それを見ていた監督は年明けまでチームに残ってアドバイスしてやってほしいと頼んできた。
僕はそれを承諾し半選手半コーチとして部に残った。
そんな感じで僕のサッカー人生は幕を閉じたわけだが
卒業式に後輩たちからもらった色紙の印象に残ってる言葉をみんなに伝えたくてブログを書いた。
~色紙~
まず僕の恩師、キーパーコーチからの言葉
「俺の指導歴の中で一番成長して一番教えるのが楽しかったGKやった。楽しい3年間をありがとう!」
くぅっ!泣ける!!
次に監督からの言葉
「1年の時はぼ~っとしてたけど最後は頼もしいGKになったな!この先も頑張れ!」
1年の時はマジで集中力10分しかもたんかった...
次にマネージャーからの言葉
マネA「GKお疲れ様です!頼りになる守護神でした(^▼^)」
まさかマネから守護神って言葉が出てくるとは思ってなくて泣いたw
マネB「卒業おめでとうございます!ガルさんと仲良くなれてむっちゃ嬉しかったです!またいっぱい話に来てくださいね!GKかっこよかったです!」
おま!また食い物の話でもしに行くかw
次に僕の後継者、後輩キーパーからの言葉
「なにからなにまでお世話になりました、ガルさんが居なかったら今の俺は居ません、教わったことをいかしてこれから頑張ります!」
お前は有言実行、まじで頑張ったよな!
(友人の事故死を乗り越え後輩は翌年の堺市代表GKになりました)
最後にフィールドプレイヤーで一番印象に残ってるコメントを紹介します。
「ガルさんのGKが後ろに居たから安心できました。アドバイスをくれたり指示の仕方を教えてくれてありがとうございました。」
こいつ無口やったけど最後には声出るようになったし
僕が居たから安心できたとか嬉しすぎて泣いた。
最後に。
自伝と言いつつ結局何が言いたかったのかというと色紙のコメントに挙げた
言葉のように、WoTでも誰かに必要とされる存在になりたいなって、
僕がいるから安心できる、僕がいたからここまでこれた。
そんな存在になりたいと思います。
今はまだまだな僕ですがこれからも応援よろしくお願いします!!!